[午前4時17分 - 清水朱里のアパート]
アパートの室内は,緊迫感に包まれていた.輝(カガヤク),衝撃(ショウゲキ),そして清水朱里は,ノートPCを囲んで寄り添っていた.画面から放たれる冷たい青白い光が,時間と戦う三人の顔を照らし出す.
刑務所移送まであと14時間.拷問殺人を止めるまで14時間.さらなる悲劇を防ぐまで,あと14時間.
「買収された看守は3人」清水はこの1時間でまとめ上げたファイルを提示した.「全員にギャンブルの負債があり,その負債をちょうど完済できる額の金を提示されている.これは偶然じゃない.プロの仕事よ」
「真(マコト)はまだ16歳だよ」衝撃が言った.「どうやってそんなプロの工作員(フィクサー)に接触できたの?」
「あの子じゃない.別の誰かが関わっているわ」清水の銀色の瞳が細められた.「リソース,人脈,そしてシステムを操る経験....このパターンには見覚えがある.芸能界の裏で,裕福なクライアントのために犯罪を演出する『フィクサー』のやり方よ」
輝の心に冷たい確信が宿った.「...誰かが真を利用して,これらすべてを計画したってことか?」
「真が君たちを利用したように,誰かが真を利用したのよ」清水はさらにファイルを開いた.数十年間にわたる,不可解な死,未解決の殺人,不審な自殺の記録.「このパターンを見て.芸能界の重要人物が都合よく死に,狂信的なファンがどこからともなく現れる.家族が突然保険金目当ての殺人に走る....一貫性がありすぎるわ.プロすぎる」
彼女はある男の写真をクリックした.50代後半,品格のある容姿,高価なスーツを着た男.
「黒幕プランナー(クロマク・プランナー).業界のコンサルタントであり,タレントマネージャー,そしてプロの『問題解決屋』よ.彼は30年間で17件の不審死に関与していると言われている.起訴に足る証拠は一度も残さず,常に実行犯から一歩引いた場所にいるわ」
「...あいつが,俺の母さんの死を仕組んだのか?」輝の瞳に黒い星が浮かび上がる.
「多くの死を仕組んできたわ....衝撃,あなたの両親の死もね」清水は9年前の現場写真を映し出した.衝撃の両親がアパートで射殺された事件.「覆面の3人組...彼らは雇われたのよ.プロの殺し屋は単独では動かない.莫大な報酬を払い,緻密に計画を立て,証拠を残さない誰かのために動くのよ」
衝撃の深紅の瞳が燃え上がった.「...そいつは,どこにいるの?」
「それを突き止める必要があるわ.もし黒幕が真の計画に関わっているなら,真の脅威はあの子じゃない.あの子もまた,トラウマを兵器に変える方法を知り尽くした人間に利用されている,壊れた少年に過ぎないんだから」
輝のスマホが震えた.佐藤刑事からのメッセージだ. 『刑務所移送に関する匿名通報を受けた.詳細な設計図,看守の名前,買収の証拠....これ,お前ね? 話がある.今すぐだ』
輝がメッセージを清水に見せると,彼女は険しく微笑んだ.「いいわ,彼女なら君の筆跡や癖を見抜くはず.移送の阻止は彼女に任せましょう.私たちは,真が計画の失敗に気づいて映像を公開する前に,黒幕を見つけることに集中するわ」
「真はどうなるの?」衝撃が尋ねた.「移送が阻止されたら,私たちが裏切ったことに気づくわよ」
「気づかせればいい.怒らせればいい.でも,実行はさせない」清水は使い捨ての携帯を取り出した.「恩を売っておいた人たちに連絡するわ.私が長年助けてきた,恩義のある転生者たちにね.黒幕を見つけ出し,あいつを暴く.それを真への切り札にするのよ.真に真実を見せてやるの....自分は設計者(アーキテクト)なんかじゃない.ただの操り人形だったんだってことをね」
[午前9時47分 - 刑務所移送ルート]
佐藤刑事は計画された待ち伏せ地点にいた.戦略的に配置された3台のパトカーと,武装した警官たちが待機している.匿名通報の内容は詳細を極めていた.看守の名前,賄賂の額,正確なタイミング,そして真が猛(タケシ)を「救出」した後に通るはずだったルートまで.
(詳細すぎる.完璧すぎるわ....ライト,お前の精密さが全編に漂っているわよ)
移送車が定刻通りに現れた.しかし,買収された3人の看守の代わりに,そこには彼女が直接選んだ6人の精鋭警官が乗っていた.
星野猛は車内で困惑していた.今日,自分が「救出」されるはずだったことなど露知らず.待ち伏せも,地下組織も,助けに来る息子も現れなかった.
佐藤の無線が鳴った.「刑事,星野真を確保しました.通報の証拠に基づき,1時間前におばあさんのアパートで拘束....彼は来ない連絡を待っていたようです.使い捨ての携帯,200万円の現金,大阪行きの片道切符を持っていました」
「連行して.私が直接話すわ」
彼女は,安全に移送を続ける車を見送った.どこかで,輝は拷問殺人を防いだのだ.どこかで,転生した弟は,悲劇を引き起こすのではなく,止めることを選んだ.
(なぜ? 何が変わったの?)
スマホが震えた.未知の番号からのメッセージ. 『脱獄計画はただの症状に過ぎない.病根はまだ広がっている.30年間にわたり芸能界の殺人を操ってきた黒幕の正体を知りたければ,午後2時に旧中村劇場へ.一人で来なさい.――7回死んだ記憶を持つ者より』
清水朱里.佐藤はそのメッセージを見つめ,思考を巡らせた. (7つの人生....彼女は私たちが生まれる前から,この闇を追ってきたというの? 一体何を知っているの?)
彼女は返信した.『行くわ....輝とあの生徒は一緒にいるの?』 返信:『彼らは,あなたが復讐に固執してできなかったことをしているわ....人々を救っている.あなたも含めてね.2時に会いましょう』
[午前11時23分 - 取調室]
真は佐藤刑事と向かい合って座っていた.その表情は怒り,困惑,そしてどこか「安堵」に近いものが入り混じっていた. 「止めたんだね」彼は淡々と言った.「移送も,救出も.すべて」
「匿名通報よ.非常に詳細で正確なね」佐藤は身を乗り出した.「真,誰が金を出したの? 誰がこの計画を手伝った? 16歳の子供が一人で脱獄を演出できるわけがないわ.トラウマを兵器化する手口がプロすぎる」
「...何のことか分からないね」
「いいえ,分かっているはずよ.私は3週間,あなたを調べてきた.替え玉のことも知っている.田中カルコがあなたの身代わりに死んだことも.従兄を脅迫していたこともね」彼女は現場写真を並べた.「私が知らないのは,誰があなたを助けていたかよ.誰がリソースを,コネクションを,プロ級の計画を提供したの?」
真の表情がわずかに崩れた.「それを言えば,共謀罪を認めることになる」
「あなたはすでに共謀罪に問われているわ.問題は,あなたが主犯か,それとも被害者かということよ....私から見れば,あなたは利用されたように見える.自分と他人を破滅させるのに十分なだけの『餌』を与えられた,哀れな被害者にね」
「...僕は被害者じゃない.僕が選んだんだ」
「本当に? それとも,それが望むものを手に入れる唯一の道だと,誰かに吹き込まれたの?」佐藤は1枚の写真をテーブルに滑らせた.「黒幕プランナー....この男を知っているわね?」
真の目が大きく見開かれた.「...なぜ,それを...」 「やっぱり知っているのね.どうやって?」
沈黙.そして真は語り始めた.「...2年前,あいつが接触してきた.僕の父のこと,従兄のこと,保険金のこと...すべて知っていた.正義を実現させてやると言ったんだ.家族を手に入れさせてやると....あいつの計画に従いさえすればいいってね」
「あいつの計画....あなたのじゃなく」 「...いつの間にか,僕のものになっていたんだ.僕が自分のものにしたんだ」 だが,真の声には力がなかった.
「利用されたのよ.あなたが輝を利用したようにね....これは底なしの連鎖だわ」佐藤は写真を引っ込めた.「黒幕は今,どこにいるの?」
「...知らない.連絡はあっちから来る.僕からはできないんだ.本物の番号すら知らない.毎週変わる使い捨ての番号だけだ」真の手が震え始めた.「計画が失敗したら消えると言っていた....全部僕に押し付けて逃げるつもりなんだ.ハッタリだと思っていたのに...」
「ハッタリじゃないわ.真,あなたは今,一人きりよ.あいつを見つけるのを手伝うか,あいつが仕組んだすべてを一人で背負って地獄へ行くか,選びなさい」
真は天井を見上げ,ついに涙が溢れ出した.「...僕はただ,従兄に僕を見てほしかっただけなんだ.理解して,家族になりたかった....それだけだったのに,どうしてこんな....無実の人を殺して,自分の父親を拷問死させようとするなんて....こんな悪夢,望んでなかった...」
「替え玉のアイデアは,誰が出したの?」
「...黒幕だ.あいつが田中を連れてきて,薬を盛って,実行方法を教えたんだ.罪の共有こそが,僕と輝を繋ぐ絆になると言った....僕は死ぬまで田中の名前すら知らなかった.娘が死んでいたことも,何も....あいつに言われた通りにしただけなんだ」
「...なら,あいつを止めるのを手伝いなさい.これ以上,誰も利用させないために」
真は長い沈黙の後,言った.「...六本木にプライベートビルがある.あいつのオフィスだ.最上階.そこで会った....あいつが今まで操ってきた全員のファイル,仕組んだすべての犯罪の記録が,そこにあるはずだ」
佐藤は立ち上がった.「...ありがとう.これだけは言っておくわ.あなたは加害者だけど,被害者でもあった....その両方は成立するのよ」
彼女がドアに手をかけた時,真が呼び止めた.「...刑事さん....従兄は.輝は...無事なの?」
「...無事になろうと努力しているわ.彼のような立場にいる人間の中では,一番よくやっている方よ」彼女は足を止めた.「あなたの計画を止めたのは,彼よ.匿名で通報を送ってきたのも....彼が,あなたを拷問魔になることから救ったのよ」
「...救ってくれた?」真の声は小さく,壊れそうだった.「...なぜ? あんなことをした僕を?」 「...それが家族だからよ.たとえ困難でも...いえ,困難だからこそね」
彼女は取調室を後にした.繋がりを渇望するあまり,怪物の手を取ってしまった少年を残して. 黒幕の傀儡(パペット).自分が糸を引いていると思っていた,糸に操られた少年.
(他にもどれだけの人間がいるの? この犯罪者は,どれだけの人々の人生を壊してきたの?)
[午後2時00分 - 中村劇場]
その古い劇場は,数週間前に清水が輝と衝撃に初めて会った場所だった.今は,別の種類の対峙の場となっていた.
佐藤が到着すると,舞台の上で清水が待っていた.銀色の瞳が微かな非常灯を反射している. 「佐藤刑事....それとも,福家由美子(フク・ユミコ)と呼ぶべきかしら?」
佐藤は凍りついた.「...なぜ,それを...」
「私は19年間,転生者を追ってきたの.パターンは分かるわ.あなたが弟である輝を見る目...家族の長女としての目よ.前世で弟を壊してしまった罪悪感....あなたは自分を許せないから,彼を狩り続けてきた.自分の罪と向き合うより,彼を罰する方が楽だったから....あなたが弟を罪人にしたのよ.そして今,かつて自分が憎んだ弟を,さらに追い詰めようとしている....でも,運命は変わった.すべてが配置についたわ」
「...セラピーを受けに来たんじゃないわ」
「ええ.あなたは,30年にわたる芸能界の殺人の証拠を見に来たのよ.誰が星野猛を操って里奈を殺させたのか.誰が衝撃の両親を殺すために3人を雇ったのか....壊れた人々を武器にして,他の壊れた人々を破壊し続けてきた黒幕の正体をね」
清水はタブレットを取り出し,30年分に及ぶ証拠を佐藤に見せた.
「黒幕プランナー.彼はただの問題解決屋じゃない.罪深い人間よ.彼の娘は30年前,アイドルだった.黒幕みなみ(クロマク・ミナミ).19歳で,業界の闇に耐えきれず自殺したわ.彼は,娘を壊した芸能界そのものを恨んだの」
彼女は写真をクリックした.笑顔の少女が,次第に生気を失っていく姿.
「彼は30年かけて,芸能界の重要人物とその家族を破壊してきた.不審死を演出し,傷ついた人々を操って殺人を犯させた.他人の痛みを武器として使ったのよ.確認されただけで17件.おそらくもっと多いわ」
佐藤は吐き気を覚えた.「...あいつは,輝の母親を殺したのも,業界を罰するためだったと?」
「彼女が元アイドルで,家庭を持っていたからよ.娘と同じパターンね.彼は娘の死を何度も再現し,自分が失ったものを持っている人々を罰し続けているの」清水の銀色の瞳には悲しみがあった.「トラウマには論理なんてないわ,刑事.あるのはパターンだけ.そして黒幕のパターンは,自分の家族が壊されたから,他人の家族を壊すことなのよ」
「...そいつは今,どこにいるの?」
「分からないわ.真が教えたオフィスには,もういないはずよ.あいつは狡猾で経験豊富だわ.計画が崩れ始めたと悟った瞬間,姿を消す」
「...なら,どうやって見つけ出すの?」
「見つけないわ.向こうから来させるの」清水は電話を取り出した.「あいつのファイルをすべて握っていると公表する.世間にすべてを暴露すると脅して,あいつの手札を封じるのよ」
「危険だわ.逃げられるかもしれない.証拠を消され,証人が殺されるかも...」
「...いいえ,追い詰められた人間は,必ず最後に暴発するわ.自分の聖戦を正当化するために,最後の大きな一撃を放とうとするはず」清水の声は静かだった.「私は7回生きてきたのよ,刑事.復讐者の考え方は熟知しているわ.黒幕は逃げない.自分の任務を完結させようとするはずよ.30年の殺人に意味を持たせるための,最後の一人をね」
「...ターゲットは誰よ」
清水は彼女の目を見つめた.「...私,輝,衝撃.彼が数十年にわたって続けてきた負の連鎖を断ち切ろうとしている者たちよ.あいつにとって,私たちは裏切り者なの.復讐を望むべきなのに,防止を選んだ異端者....自分の聖戦が無意味だったと証明されることこそ,あいつの最大の悪夢なんだから」
佐藤に冷たい確信が広がった.「...自分を『餌』にするつもりね」
「私は7回目の人生を,誰かを救うために使うの.4回目の人生で夫を殺してしまった時に,すべきだったことをね」清水は立ち上がった.「手伝ってくれる? それとも,自分の罪を棚に上げて輝を追い続ける?」
その言葉は,刃のように突き刺さった.佐藤は分かっていた――弟を追うことが,彼を壊した自分自身の罪から逃げる唯一の方法だったことを.
「...手伝うわ」彼女は静かに言った.「計画を教えて」
焼け跡のような劇場で,幾度も人生を重ねてきた二人の女性が,30年かけて痛みを毒に変えてきた怪物を止めるための計画を練り始めた.
その頃,東京のどこかで,黒幕プランナーは脱獄の失敗と真の逮捕のニュースを見ていた.緻密に築き上げた計画が崩れていくのを.
そして,彼は微笑んだ.
「勝ったと思っているのか.たかが一つの殺人を止めたくらいで,連鎖が止まると思っているのか....何も分かっていない.連鎖はすでに完結しているんだ.30年前にね....本当の復讐がどんなものか,見せてやろう」
彼は電話を手に取り,指示を出した. 「...時間だ.最終プロトコルを開始しろ.連鎖を断ち切ろうとする者たちを全員消せ.清水朱里から始め,あの星野のガキで終わらせるんだ」
「...赤いマフラーの娘は?」 「...あいつもだ.全員だ.とびきり無惨に,派手に殺せ.世間に知らしめるんだ.意味のある死にな」
彼は電話を切り,デスクの上の娘の写真を見た.みなみ.19歳.アイドルとして輝いていた,自殺の数週間前の笑顔.
「...みなみ,僕の星よ.君を殺したこの業界を,根こそぎ焼き尽くしてやる....最後の一片までね」
最終幕が始まる. 今度は,舞台が赤く染まる番だ.
つづく... [最終回:第16話「暗闇を貫く星々(スターズ・ザット・シャイン・スルー・ダークネス)」]
